やはりおかしい、上野千鶴子氏の発言

feminism-rocks
©️ Kristjan Wager

突然ですが、私はフェミニストです。

ただしこれは、よく誤解されるような「女性のワガママに寛容」とか「女性優遇・レディ・ファースト」とか「女たらし」という意味ではなく、かといって、闇雲に「女性も男性も同じに扱う」ことを主張することでもありません。

私が考えるフェミニストとは、

  • 男性が女性を所有・支配することや女性を性的客体としてしか評価しないことを不正義と感じ、「女性の社会進出」イコール「女性が男性仕様の政治・社会・経済構造に適応させられること」ではないはずだと考える人であり、
  • 「男らしさ」に縛られて男性が自分の豊かな感情を抑圧したり、上下関係の中でしか自分を位置付けられなかったり、孤立したり、自殺率が高かったりする状況を終わらせたいと考える人であり、
  • 性的マイノリティに対して「お前は一体どっちなんだ」と迫るような社会を変えたい、という価値観を持ち、行動に移す人

のことを指します。

女性である必要はありません。むしろ、フェミニストが女性だらけだと、フェミニズムへの誤解がなくなりません。もっと多くの男性がフェミニスト宣言することが求められていると思います。

カナダのトルドー首相の人気の秘密は、イケメンだからというだけではなく、トランプ米大統領の握手攻めへの返しが安倍首相よりも上手だからというだけでもなく、その清々しいフェミニスト宣言にあります(他にも、先住民族への扱いに対する謝罪や、難民への開放的な姿勢などもありますが)。

 

 

こんなことを書いたのは、日本のフェミニズムの大御所である上野千鶴子氏が最近行なったある発言に関する報道に感じたガッカリ感を、「アンチ・フェミ男の言葉」と思われずに伝えたいからです。

実際、社会通念を揺さぶる上野節は、私も好きです。
最近のものだと、「なぜ不倫をしないのか?」という刺激的なタイトルのこれとか、とてもいいと思います。

でも、2月11日付の中日新聞・東京新聞に掲載された、日本の移民・難民政策の今後に関する彼女の発言(リンク先、3つのインタビューの2つ目)は、いただけません。

発言を凝縮すると、次のようにまとめられます。

  1. 日本が人口減少を食い止めるには、「自然増」は見込めないから、移民受け入れによる「社会増」しかない。
  2. つまり日本は、「社会増のために移民受け入れとともに社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ」か、「難民含む外国人に門戸を閉ざし、ゆっくりと衰退する」かの選択をしなければならない。
  3. 日本にとって移民受け入れは、客観的には「労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつか」っており、主観的にも日本は「アメリカ・ファースト」ならぬ「ニッポン・オンリー」の社会(単一民族神話を信じている社会)なので、「多文化共生には耐えらえない」から「やめた方がいいと思っています」。
  4. すなわち、残された道は衰退で、「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です
  5. 日本には本当の社会民主主義政党がないが、NPOなど「協」セクターの台頭に希望がある。

これを読んで思わず、Facebook上で嘆いてしまいました。
「上野氏も老害か。結果的に曽野綾子のような言説に」

上野発言のどこが問題かについては、すでに素晴らしい批評が出されています。

  1. 「移住者と連帯する全国ネットワーク」による公開質問状
    特に、「移民増が社会的不公正/抑圧/治安悪化を引き起こすのではなく、その社会にもともとあったそれらが移民・難民に襲いかかるのだ」という指摘は非常に重要。フェミニストが「女性が増えたら差別が増えるから女性はいない方が良い」と言うのに等しい倒錯である、と。
    (ちなみに、安倍首相がトランプのムスリム対象の大統領令に『コメントしない』ことについて、「難民を日常的に追い返している日本が言えることなどないだろう」という最もな指摘がありますが、移住連さん、難民支援協会さん、AAR Japan[難民を助ける会]さんのようなところは、十分正統性を持ってトランプ批判ができると思います)
  2. 望月優大氏による批評
    NPOが国家の再分配と社会保障機能の代替になるかのような主張は成立しないという指摘は、私も全く同感(NPOは、サービスプロビジョンや政策アドボカシーを通じて国家のそういう機能を補完する不可欠な役割を果たしますが、国家機能を縮小してNPOに投げるやり方は、規模でも追いつかないし、サービスの質に格差を生みます。NPOは新自由主義を喜びうる立場にいるが、喜んだら存在意義を放棄したことになります)。

加えて私が批評するとすれば、

  • 日本の人口減少は、戦後の強固な性別役割分担(夫の長時間労働と妻の専業主婦)は、あくまでも「人口ボーナス期」の重厚長大型産業主導の経済発展の時期に一定の合理性があっただけにもかかわらず、歴代の自民党オッサン政権が普遍的な黄金律であるかのように勘違いして、産業構造の変化と「人口オーナス期」に備えて経済・社会の政策・制度の改革を怠ったことに大きく起因している(逆にいうと、妊娠・出産・子育てへの男女共同参画と社会的支援、働き方改革などの組み合わせで人口減少傾向の反転は可能である)という視点が抜けている。
  • 出生率を抑制する長時間労働、子育ての孤立化、子育て費用の個人負担の重さ、将来不安などは、貧困や格差、地方の過疎化といった問題と、新自由主義政策という根っこを共有している。日本の「貧しさ」は新自由主義のせいで起きているのであり、不作為の先にある貧困は、「みんな平等に緩やかに貧し」いどころか、不平等と暴力に彩られた貧困だ。
  • 上野氏は「目指すべきは社会民主的方向性なのに、日本には本当の社会民主主義政党がない」ことを嘆いているが、ここでいう「本物の社会民主主義」とは、おそらく、世界、特に北欧で政治勢力の一角を成してきたものと考えて良いと思われる。しかし、北欧の「本物の社会民主主義」は、経済成長を否定していないし、再分配の原資を成長に頼ってきた。もちろん、アベノミクス的な再分配を犠牲にする成長路線ではなく、「適度な再分配が成長を下支えする」という考えだから、再分配志向ではあるのだが、成長を是としている点では変わらない。
    人口も経済もシュリンクする状況に答えを出せるような社会民主主義の追求は、起きてはいるのだろうけど、それはまだオルタナティブな社会民主主義であって、「本物の社会民主主義」と呼べるものではないと思う。
    「衰退を受け入れた先に社会民主的な方向性」を言うのであれば、それを成立させる条件を提示してもらいたい。
  • 望月氏指摘のNPOについては、上野氏のNPOに対する認識が薄いのではないかと思う出来事が以前にもあった。イラク戦争当時、人道支援や報道の目的でイラクに入った日本人数人が「サラヤ・ムジャヒディン」に捕まったときに小泉政権が出した「自己責任」という結論に対し、批判の世論が起こったが、このとき上野氏は、「NGOに自己責任を押しつけるとは何事」という趣旨のコメントを発したことがある。あれには強い違和感を感じた。人道支援で紛争地に入るNGOは皆、「自己責任」で安全策を取っている。その道のプロである。あのとき拉致されたのは、組織化されたNGOではなく、個人だった。日本社会には「NGO=ボランティア」という誤った認識があるため、彼らのことをNGOと呼ぶ報道が溢れていたが、上野氏もその認識に乗っかった発言をしたわけだ。(お断りすると、私も政府の「自己責任論」には批判的である。NGO云々ではなくて、邦人の安全を守る立場にいる国家がその責務を放棄したと受け取れる発言だったから。また、拉致されてたのがNGOだったとしても、あえてそれを言う必要性はなかったわけであり。

また、私の「老害」発言に対し、FB上で興味深いコメントをもらいました。

「これは上野氏の発言そのものというより、中日・東京新聞が変なまとめ方をしたからではないか」

「上野氏の発言は、『希望的観測』『主観的な解釈』を排した、極めて現実主義的で、社会学者として適切なものである」

「もともとこういう断言調で挑発的に話す人で、それがこの人の強みでは?」

一つ目の、「上野氏の発言よりも、取材側の問題では」という指摘には、もしかしたらそうかもしれない、と素直に思います。東京新聞さんはお持ちの価値観としては日本のマスコミ界でなくてはならないものだと思うのですが、強引なイデオロギー的解釈や、日本語では意味不明になる翻訳なども散見されるので、可能性としてありかな、と。

二つ目のコメントについては、私は、三つ目のコメントにあるように、上野氏は現実を淡々と描写・分析してシナリオを提示する人ではなく、一つの価値観的視座から社会を鋭く分析し、我々を苦しめる社会通念を揺さぶるために挑発的な発言をする人だと思います。アクティビストなアカデミックだと思います。今回の発言だけ「現実主義」に徹したというのは、考えにくいと思います(それに、上記の批評にある通り、そもそも現実認識としておかしい箇所も色々とあり)。

で、三つ目のコメントに照らして考えたのですが、やはりこれも違和感があります。
なぜなら、上野氏の挑発的断定は通常、フェミニズムならフェミニズム的な価値観への気づきを促すような、思い込みへの挑発だと思うのですが、今回の発言は、自然増も社会増もダメという切り捨てと、国家の再分配機能のNPOへのアウトソーシングという無責任な処方箋しか示していないので、通念を揺さぶられた先にベター・ワールドが見えないのです。

2015年の安保国会で登場した学生運動のSEALDs。ある女性メンバーが、こんなスピーチを行いました。

「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生えない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。」

これに上野氏が噛み付きました。

いや、上野さん、それはその場では関係ないでしょ。ご飯作ってくれたのがお父さんでもこのスピーチは同じだし、例えお母さんが性別分業で苦しんでいたとしても、この人の幸せな思い出は事実なんだし。

そんな記憶が重なることもあって、やはりこの方は、「いってもそんなに貧しいわけじゃないでしょ」という曽野綾子や、「最近の若者は何もわかっちゃいない」と切り捨てる倉本聰や仲代達矢と同じ、「老害」なのではないか、と思うのです。

もちろん、中日・東京新聞が大事な発言を拾い損ねていなかったら、の話ですが。

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