(Barry King/Getty Images)
前回の投稿 がソーシャルメディア上で急拡散され、数日の間に述べ約64,000人の方に見ていただくことになり、驚きました。ありがとうございました。
さて、ご存知、ドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーア氏が、「トランプ大統領」の登場に吠えています。彼が辞めるまで徹底抗戦する、と(例えば、この記事 )。
彼は、大統領選期間中ずっと、主流メディアが「クリントン投票」の予想をし、テレビ討論でトランプを続けざまに論破するのを見て「ほぼ当確」と報道しても、一貫して「ヒラリー支持者は残念だったな。トランプが勝つ」という発言を続けていたのですが、結果は彼の言った通りになりました。
そのため、今までは彼をキワモノ扱いしてきた米国の主流メディアも、彼に大きな尺を割いて見解を問うようになっています。
彼は、ずっとトランプを厳しく批判してきましたし、民主党の予備選ではサンダースを、本選ではクリントンを応援してきました。前述の通りこれからも「トランプ大統領」に徹底して抵抗すると言っています。それは彼が今までの自分の作品で示してきたように、アメリカ社会で底辺の暮らしを強いられているヒスパニックや黒人の貧困層やマイノリティの権利をずっと擁護してきたからであり、トランプという人物や、彼が実際に行うであろう政策が、これらの人々に危害を及ぼすと本気で案じているからでしょう。
では、トランプを批判するマイケル・ムーアは、リベラルでしょうか。
私は、ムーアは多様性とか寛容とか平等とか人権という意味では、リベラル的な価値観を持つ人だが、彼の存在・アイデンティティ自体は現代米国のいわゆる「リベラル」層とは違うところにある と思います。そして、この間の米国政治におけるリベラルの判断と行動に対して非常に強い失望と憤りを感じていると思います。
なぜか。
彼の慧眼は、彼が開票の3日後に出演した米放送局MSNBCの討論番組 を見れば全てわかります(英語のわかる方はぜひ!)。以下に、この番組で特に私に多くの気づきを与えてくれた発言をまとめます。
俺は35歳以上の怒った白人男性で、高卒だ。つまり、典型的な「トランプ支持の人口動態」に属する。そこで育ち、そこに暮らし、今もそこで生きている。大統領選の数週間前のこの番組で、トランプ陣営の最大の支出項目が野球帽だというを取り上げていた。そこでコメンテーターたちは「野球帽?ハッ(笑)」と馬鹿にしたんだ。俺は思った。「ああ、こいつらは(浮世から隔絶された)バブルの中で生きているんだ。(労働者階級にとっての野球帽の意味を)理解できないんだ 」と思った。自分もいつも野球帽をかぶってきたし今もかぶってる。このとおり。これが俺たちの生き方だ。それを彼らは嘲笑したんだ。
30年前、レーガンの政策で何万というデトロイト市民が職を失った。彼らの暮らしは一気に暗転し、中間層から転げ落ちた。次にレーガンが航空管制塔の職員を大幅に削減し、労組も闘ってくれなかった時、全てがそこで終わった。その後も労働者たちの状況はどんどん悪くなっていった。
トランプの税逃れ疑惑についてトランプが、「それは自分が賢いからだ」と発言した時、メディアは批判しただろ。でも彼の支持者から見れば、「賢いやつ」に見えるんだ 。なぜなら、毎日毎日何かの支払いに追われているんだから。「できるだけ政府に払わない」ことをやってのけるなんて、羨望の対象さ。
データ主義を信条とする連中は、都合の悪いデータもしっかりと見るべきだ(People who live by data should die by data)。民主党の大統領予備選挙でヒラリー・クリントンよりもバーニー・サンダースを選んだ州は、大統領選で民主党のクリントンではなく、トランプを選んだ。サンダースがヒラリーを追い詰めた時点で、とんでもないことが起きていることに主流派は気付くべきだったんだ。だって、このアメリカで、社会主義者を名乗る人物がヒラリー相手に22の州を押さえたんだぜ。人々がもはや、イデオロギーで候補者を選んでなんかいない証拠さ 。2008年と2012年にオバマに投じた人たちは、今年は、「あと8年も中間層を苦しめる大統領はいらない」と、支持先を変えたんだ。
トランプ当選を受けて、オバマとクリントンが「オープンな心で、一つになりましょう」と言ったのは、彼らの職務上当然のことだが、俺たち運動側は違う。反対して、抵抗する。(クリントン支持が多かった)西海岸や東海岸だけでなく、全国で。トランプの就任式に『100万人の女の行進』を企画する女性団体もある。就任式史上最大のデモになるだろう。
こんな調子です。
(ちなみに、私は映画や本などでアメリカ人のセリフがやたらとロックンロールな感じに、例えば “I” が勝手に『オレ』に訳されるのが、日本人のアメリカ人に対する「粗野」という偏見を表すようで嫌なのですが、マイケル・ムーアの言葉を訳そうとすると、こうなってしまいすね。困ったな。)
ムーアはトランプ阻止に動いていますが、多くのトランプ批判派がするような、トランプの無知を嘲ったり、トランプ支持者をレイシストとかセクシストと罵るということはしません。 彼自身はトランプの暴言はその対象とされた人たちを脅かすものとして徹底的に糾弾しますが、同時にそもそも大半の白人トランプ支持者は彼の罵詈雑言に引かれて支持しているのではなく、自分たちを踏みにじり、何度選挙で意思表示しても無視してきたエスタブリッシュメントの偽善・欺瞞について、「エリートは腐敗している」「奴らは庶民から奪っている」とストレートに言ってくれる候補が(サンダース亡き後は)トランプだけだからだと強調しています。
もちろんあれほどの暴言ですし、実際に多くの支持者たちも「あの発言はひでえ」「奴はどうかしている」とは思っているようですが、エリートの下した政策で自分たちが実際に被った実害を前に、その酷さは相対化されてしまうのでしょう。女性有権者の4割近くが彼に投票していることからもそれが読み取れます。また、マイノリティに対して直接憎悪を抱いていなくても、エリートが労働者階級の窮状を無視して説いてきた「マイノリティへの寛容や包摂」には「欺瞞に満ちたポリティカル・コレクトネスだ」「逆差別だ」と強い反発を感じていても不思議ではないと思います。
貧困家庭に生まれずっと貧困にあることも理不尽ですが、中間層から貧困層に「落ちる」というのは、それとはまた異なる特有の恐怖や屈辱、痛み、喪失を伴うものなのだと思います。先進各国で起きているのはこれで、これが政情不安の原因です。「そうは言っても、白人労働者の暮らしぶりは多くの黒人貧困者と比べればマシでしょ?」という指摘は、客観的にはそうかもしれませんが、当事者の主観的には全く意味をなしませんし、それどころかその発言者の特権ぶりを際立たせる効果しか持ちません。
永くワシントンやニューヨーク、ロサンジェルスから自らの正義に何の疑いもなく寛容や平等を説いてきたエリート・リベラルたちは、白人労働者たちの目につくところで、そういう態度を何度も何度も見せてきたのでしょう。
これはただの憶測ではなく、実際に私自身が所属していた国際NGO業界でもよく見かけました。こういうことに非常にセンシティブな人もたくさんいますし、貧しい家庭の出でその業界に入った人も少なくないのですが、業界全体は高学歴で機会に恵まれてきた人たちの率が高く、「世界のスバラシさ」を知っており、人権や正義についての理論武装もバッチリで、その能力で足元からの異論にも想定問答的に受け答えが出来てしまいますが、結局、その足元の困窮に対しては「外部者」なのです。
あるテレビの街の声取材で、そういうエリートへの制御不能なまでの激しい怒りを表す人の様子が映されています。
https://twitter.com/nick_ramsey/status/796908208241643520
この女性、クスリをやっているように見えなくもありませんが、そうだとしても、私には、その奥に、自分の身に降りかかった数々の「こんなはずじゃなかった」出来事、その原因を作った者たちに対する怒りがあるように見えます。そのせいでクスリをしているのかもしれません。
ムーアも、この女性が示すような怒りには心底共感しているからこそ、トランプによってその敵意が向かってはならない方向に向けられてしまうことを必死に止めようとしているのだと思います。
その彼から見て、エスタブリッシュメントの、特にリベラルの、トランプに対する戦い方は、とても歯がゆかったのだと思います。彼は、トランプに惹きつけられる白人労働者たちが、政治をこれまでの「行い」や「体感」に基づいて評価し、だからトランプやクリントンについてもそれぞれが表す「象徴」を見ているということを知っていて、大手メディアやリベラルがいつまでもトランプの「言葉」と「その額面通りの意味」にしか注意を払わず、それを論破することばかりに注力する姿を見て、「こりゃダメだ」と思ったのでしょう。その態度・行いは、トランプが描く「エリート像」そのままなのですから。
アメリカも、レーガン前は(白人に限る話ですが)格差が比較的小さかった時代があったし、ベトナム戦争で苦しんだ人たちも多く、そこから出てきた「リベラル」には血が通っていたのだと思いますが、新自由主義→経済・教育格差拡大→政治エリートの世襲化が進んだ現代、リベラルの多くはコミュニティを持たない、アタマとコトバで作られた「価値観」を語る人でしかなくなってしまっているのかもしれません。そのように見えます。
だとすれば、ミシガン州フリントに生まれ、育ち、おそらくそこで死ぬであろうマイケル・ムーアは、リベラル的価値のために体を張るが、いわゆるリベラルではないのだろう と思うのです。