あるサステナビリティ企業の勘違い

最近はサステナビリティ方面で評価が高いと言われる、某青い缶の炭酸飲料会社が、あるCMを発表して炎上。したらしい。

これがそのCM。

内容を大まかにまとめるとこんな感じ。

  • 反戦・環境保護を訴えるデモ。あらゆる人種やセクシュアリティが参加する多様なもの。
  • 近くで撮影中の白人のスーパーモデルが、感化されて参加。
  • やがてデモ隊は機動隊が待つラインに近づき、緊迫した空気に。
  • そこでモデルの彼女が機動隊員に近づき、ペプシを手渡す。
  • ヒジャブを着た女性写真家が彼女の勇気に感銘受け、シャッターを切る。
  • 一瞬の躊躇いののち、隊員は缶を開け、ペプシを飲むと、デモ隊が歓喜に沸く。

衝突は回避され、メデタシメデタシ。

これに対しSNS上では、過去のデモで起きた警察の暴力のシーンに、「彼にペプシを渡せば収まる」などとCMのおめでたさを揶揄するコメントが拡散。
英ガーディアン紙が報じてます。

愚かすぎる。
あまりにも愚かすぎる。

そもそも、デモ隊は当初の要求が通ったわけではないよね?衝突してでも訴えるべきことがあるんじゃない?というツッコミを置いておいて、ここで問題にしたいのはこの企業の市民社会に対する姿勢。

いや、企業がソーシャルに目覚めることは大切ですよ。

目覚めるだけでなく、よりサステナブルなビジネスモデルにシフトすることも大切ですよ。

そしてそのシフトが正当に評価されてしかるべきとも思います。

でも、だからと言って、大企業が社会正義を求める活動家や社会課題の当事者の側に立てるとか、彼らと権力の間の仲裁に入れるなどと思うのは、大いなる勘違い。
あくまでも、企業は彼らからの批判的な視線に対して申し開きを試みる立場にあるという謙虚さを失ってはいけない。
ちょっと褒められたからといって、思い上がっちゃいけない。

長いこと社会や環境に害を与えて儲けてきたタバコ会社や石油会社などが市民運動を侮蔑するのは、ある意味理解できる。

サステナビリティを標榜する企業の上から目線が垣間見えると、欺瞞性が高くなる。

広告

小泉進次郎氏らによる「人生100年時代の社会保障へ」の本末転倒と、NPO/NGOへの苦言

8224573137_84fa4e6f15_z

最近、小泉進次郎氏を中心とする自民党の若手議員グループ「2020年以降の経済財政構想小委員会」が「人生100年時代」と位置づける2020年以降の社会保障制度のあり方に関する提言を発表したそうです。

小泉氏のウェブサイトに掲載された「メッセージ」はこちら

その論旨は次のようなもの:

  1. 現在の社会保障制度は少子高齢化と「働き方の多様化」に対応できておらず、モデルチェンジが必要。
  2. 年金給付開始を70歳よりもさらに引き上げ、逆に幾つになっても厚生年金への納付をできるようにする。
  3. 健康保険に、運転免許にならった「健康ゴールド免許」を導入。健康管理に努めた人の医療費負担を軽減する。
  4. 風邪薬や湿布薬などは全額自己負担。

小泉氏は最近開かれた「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2016」で基調講演を務めるなど、NPO関係者とのつながりもいろいろあるようで、今回の提言についても肯定的に捉える声が一部NPO/社会起業家たちの間で上がっているようです。

NGO出身者として、実はその事実にややガッカリしています。

小泉グループの提言を読んだ私の感想は、

「『社会保障の持続可能性』と言いながら、『社会の持続可能性』を損なう提案ではないか」

というものでした。

そもそも、「IT化などによってライフスタイルが多様化するので、労働者も働き場所を自由に選べるようにする」という現状認識はどうなのか。もちろん、ITが新しい起業を可能にしている面があり、その恩恵を受けている人もいるし、社会的便益もあると思いますが、圧倒的多数の労働者にとって、IT化による余剰人員化は自らの選択でもなんでもなく、問答無用にやってくる環境の大変化ですよね。問答無用にこれまでの生き方を奪われるのを、「多様化」という綺麗な言葉でまとめてしまって良いのでしょうか。

「健康ゴールド免許」も、そもそも「健康とは個人の自己責任と努力によって維持できるものだ」という前提に立ったものですが、健康とはそんなものではありません。世界保健機関(WHO)は、「健康は数多くの社会的要因によって左右されるため、万人の健康のためには社会的要因への働きかけが必要」としています。そこでいう「健康の社会的要因」とは、

  1. 所得と社会的地位
    安全な住宅や食品の安全性など。
  2. 社会支援ネットワーク
    孤立していないこと。
  3. 教育と識字能力(ヘルス・リテラシー)
    貧困やネグレクトが原因で衛生観念や生活習慣を知らされなければ、簡単な風邪の予防すらままなりません。
  4. 雇用・労働環境
    労働による心身への負荷が健康にもたらす影響があることは、ちょっと考えればわかること。その昔、坑夫はみな若死にしたし、現代であれば電通社員の過労自殺に明らか。
  5. 物理的環境
    例えば大気汚染など。
  6. 小児期の経験
  7. 医療
    医療の良し悪しは、健康を決める要因の一要因でしかないことに留意。
  8. 性別
    生物学的な性差もあれば(ホルモンなどの男女の違いを踏まえた医療的対応はまだまだ不十分)、社会が男女に課す異なる役割などにより生じる性差(ジェンダー)も、異なる健康ニーズをもたらす。
  9. 文化
    特定の階層や障害者、少数民族などに対する差別など。

などを指します。

実はこの要因リストに「個人の保健行動とストレス対応」というのも含まれるのですが、それはつまり、小泉氏らは上記のような様々な健康要因をほぼ全て無視して、この一つだけの要因で健康保険で保障するかどうかのふるいにかけると言っていることになるんですね。

「いや、自業自得ではない人は救いますよ」ときっと彼は言うのでしょうが、これだけ様々な要因があることを考えれば、自助努力の有無がほぼ意味をなさない人も、膨大にいるわけです。

この「健康ゴールド免許」構想は、最近「自業自得の透析患者は殺せ」という刺激的なタイトルのブログを書いて仕事を失った自称ジャーナリスト長谷川豊氏が唱えていることと同じで、透析患者の野上春香さん(仮名)がここでしっかりと論破してくれています。

***

「努力の足りない人や、余裕のある人の面倒を国民の税金で見る必要はない。本当に必要としている人にこそ支援を届けよう」というレトリックは、医療費だけではなく、生活保護や子ども支援など、様々なところで使われます。

これ、一見すると非常に人道精神に溢れたもっともな論理なのですが、これがもたらす政治的な結末は、「社会の分断」と「弱者いじめ」です。

社会を分断する理由は主に2つあると思います。

  • 国に救われるか見捨てられるかの境界線を、「本当にしんどい思いをしている人」たちと、「『お前よりもずっと大変な人がいるんだ』と言われたらそうかもしれないけど、それなりに苦しい思いをしている人」の間に引くので、下層の人たちの間に対立を生む。もしかしたら、彼ら全員と、海外に資産を移して税を逃れることで国の財政を圧迫している超富裕層の間に横たわっている圧倒的な格差の方が、政治的に重要な断層かもしれないのに(ていうか、絶対そうでしょ)、そちらは見えなくなる。
  • 行政が「本当の弱者」のためにしか公的資金を使わないのなら、それ以外の人たちは自分が利用しないサービスのために納税することに対して不満を持ち、行政サービスの利用者に対して「あいつらずるい」という感情を抱くようになる。この、「税金を一方的に奪われている感」こそが、有権者の「税嫌い」を生み、社会保障の持続可能性を損なっていると考えるべき。

「弱者いじめ」とは、

  • そこまで切り詰められた、「本当に苦しい人しか受けてはいけない」サービスに頼らざるをえなくなった人は、「人様に迷惑をかける」ことのスティグマを抱え、そもそも受給を控えることになりかねず(実際、生活保護の受給資格者のうち、受給しない人の割合が相当高いと言われる)、もし受けたとしても、自尊心と引き換えに受けることになる。

ということです。本来、人間らしい最低限の暮らしを送るための普遍的権利として人類が勝ち取った制度なのに、利用者が恥辱に耐えなければならないのはおかしい。

このダウンワード・スパイラルを止めるには、社会保障の少なくとも基幹的部分については、「受給資格」で市民を分断するのではなく、

  1. 「みんなが受益する社会保障」をどーんと用意する。
  2. 「応能負担」の原則で税率に傾斜をつけた累進税制でこれを支える(財政赤字がハンパないので、どちらにしても消費税は必要なのでしょうが、そういうことは富裕層や多国籍企業への課税をしっかりと強化してから言う)。

ということが必要だと思います。
儲けを是とし、必然的に格差を生む資本主義がかろうじて倫理性を保ち、また私たちの住む社会の経済システムとして正統性を持つことができるのは、それが富を生むからではなく、生んだ富を社会に還元するからだったはずであり、そのような還元機能を回復させる取り組みに対し、富裕層や大企業は文句はないはずです。なぜかたくさん文句言いますが。

と思っていたら、最近、慶応大学の井出英策という教授が、特に「みんなが受益する社会保障」について訴えていて注目を集めています(例えばこの超面白い対談)。

彼はこのたび、民進党内に設置された「尊厳ある生活保障総合調査会」のアドバイザーになったそうですが、ぜひ、自民党の「小委員会」との間にしっかりとした対立軸を作って、政策論議を戦わせて欲しいと思います。(そしてマスコミの皆さんは、パブロフ的反射で「バラマキ批判」をするのではなく、社会を持たせるのはどちらの考え方なのか、ちゃんと検証してほしい)

「グローバル経済のもと、そもそも国民国家単位の福祉充実など不可能だ」という意見もあると思いますし、事実、国境を超えた税逃れを抑え込む政策協調ができなければ、かなり厳しいでしょう。でも、「社会保障の特別手当化」がもたらすダウンワード・スパイラルがすでに地獄レベルに到達している以上、厳しくてもそちらに舵を切るような政治力が求められていると思います。

最後にNPO/NGOに一言。

「本当に支援を必要としている人」論は、特定の脆弱層への支援活動を行うNPO/NGOの使うレトリックと、非常に親和性が高いものです。だからなのか、こういう言説に対する根本的な批判ができない団体がかなり目に付きます。

どうしても大づかみにならざるを得ない行政サービスでは対応しきれないニーズにターゲットを絞って応えることが、NPO/NGOの強みではあると思うのですが、それは、本来公的な社会保障が大多数の人々を救えている状況でこそ発揮される付加価値のはずです。国全体をカバーすべき公的社会保障をターゲット化する策動に沈黙する、ましてや歓迎するというようなことは、自分たちの仕事を増やすために悲劇を生むことに加担していることになるという構図に、気づくべきです。

その政治的な「イリテラシー」を克服しないと、下に落ちることを恐れて下を蹴落とそうとしている中間層の支持は勝ち取れないでしょう。