あるサステナビリティ企業の勘違い

最近はサステナビリティ方面で評価が高いと言われる、某青い缶の炭酸飲料会社が、あるCMを発表して炎上。したらしい。

これがそのCM。

内容を大まかにまとめるとこんな感じ。

  • 反戦・環境保護を訴えるデモ。あらゆる人種やセクシュアリティが参加する多様なもの。
  • 近くで撮影中の白人のスーパーモデルが、感化されて参加。
  • やがてデモ隊は機動隊が待つラインに近づき、緊迫した空気に。
  • そこでモデルの彼女が機動隊員に近づき、ペプシを手渡す。
  • ヒジャブを着た女性写真家が彼女の勇気に感銘受け、シャッターを切る。
  • 一瞬の躊躇いののち、隊員は缶を開け、ペプシを飲むと、デモ隊が歓喜に沸く。

衝突は回避され、メデタシメデタシ。

これに対しSNS上では、過去のデモで起きた警察の暴力のシーンに、「彼にペプシを渡せば収まる」などとCMのおめでたさを揶揄するコメントが拡散。
英ガーディアン紙が報じてます。

愚かすぎる。
あまりにも愚かすぎる。

そもそも、デモ隊は当初の要求が通ったわけではないよね?衝突してでも訴えるべきことがあるんじゃない?というツッコミを置いておいて、ここで問題にしたいのはこの企業の市民社会に対する姿勢。

いや、企業がソーシャルに目覚めることは大切ですよ。

目覚めるだけでなく、よりサステナブルなビジネスモデルにシフトすることも大切ですよ。

そしてそのシフトが正当に評価されてしかるべきとも思います。

でも、だからと言って、大企業が社会正義を求める活動家や社会課題の当事者の側に立てるとか、彼らと権力の間の仲裁に入れるなどと思うのは、大いなる勘違い。
あくまでも、企業は彼らからの批判的な視線に対して申し開きを試みる立場にあるという謙虚さを失ってはいけない。
ちょっと褒められたからといって、思い上がっちゃいけない。

長いこと社会や環境に害を与えて儲けてきたタバコ会社や石油会社などが市民運動を侮蔑するのは、ある意味理解できる。

サステナビリティを標榜する企業の上から目線が垣間見えると、欺瞞性が高くなる。

やはりおかしい、上野千鶴子氏の発言

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©️ Kristjan Wager

突然ですが、私はフェミニストです。

ただしこれは、よく誤解されるような「女性のワガママに寛容」とか「女性優遇・レディ・ファースト」とか「女たらし」という意味ではなく、かといって、闇雲に「女性も男性も同じに扱う」ことを主張することでもありません。

私が考えるフェミニストとは、

  • 男性が女性を所有・支配することや女性を性的客体としてしか評価しないことを不正義と感じ、「女性の社会進出」イコール「女性が男性仕様の政治・社会・経済構造に適応させられること」ではないはずだと考える人であり、
  • 「男らしさ」に縛られて男性が自分の豊かな感情を抑圧したり、上下関係の中でしか自分を位置付けられなかったり、孤立したり、自殺率が高かったりする状況を終わらせたいと考える人であり、
  • 性的マイノリティに対して「お前は一体どっちなんだ」と迫るような社会を変えたい、という価値観を持ち、行動に移す人

のことを指します。

女性である必要はありません。むしろ、フェミニストが女性だらけだと、フェミニズムへの誤解がなくなりません。もっと多くの男性がフェミニスト宣言することが求められていると思います。

カナダのトルドー首相の人気の秘密は、イケメンだからというだけではなく、トランプ米大統領の握手攻めへの返しが安倍首相よりも上手だからというだけでもなく、その清々しいフェミニスト宣言にあります(他にも、先住民族への扱いに対する謝罪や、難民への開放的な姿勢などもありますが)。

 

 

こんなことを書いたのは、日本のフェミニズムの大御所である上野千鶴子氏が最近行なったある発言に関する報道に感じたガッカリ感を、「アンチ・フェミ男の言葉」と思われずに伝えたいからです。

実際、社会通念を揺さぶる上野節は、私も好きです。
最近のものだと、「なぜ不倫をしないのか?」という刺激的なタイトルのこれとか、とてもいいと思います。

でも、2月11日付の中日新聞・東京新聞に掲載された、日本の移民・難民政策の今後に関する彼女の発言(リンク先、3つのインタビューの2つ目)は、いただけません。

発言を凝縮すると、次のようにまとめられます。

  1. 日本が人口減少を食い止めるには、「自然増」は見込めないから、移民受け入れによる「社会増」しかない。
  2. つまり日本は、「社会増のために移民受け入れとともに社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ」か、「難民含む外国人に門戸を閉ざし、ゆっくりと衰退する」かの選択をしなければならない。
  3. 日本にとって移民受け入れは、客観的には「労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつか」っており、主観的にも日本は「アメリカ・ファースト」ならぬ「ニッポン・オンリー」の社会(単一民族神話を信じている社会)なので、「多文化共生には耐えらえない」から「やめた方がいいと思っています」。
  4. すなわち、残された道は衰退で、「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です
  5. 日本には本当の社会民主主義政党がないが、NPOなど「協」セクターの台頭に希望がある。

これを読んで思わず、Facebook上で嘆いてしまいました。
「上野氏も老害か。結果的に曽野綾子のような言説に」

上野発言のどこが問題かについては、すでに素晴らしい批評が出されています。

  1. 「移住者と連帯する全国ネットワーク」による公開質問状
    特に、「移民増が社会的不公正/抑圧/治安悪化を引き起こすのではなく、その社会にもともとあったそれらが移民・難民に襲いかかるのだ」という指摘は非常に重要。フェミニストが「女性が増えたら差別が増えるから女性はいない方が良い」と言うのに等しい倒錯である、と。
    (ちなみに、安倍首相がトランプのムスリム対象の大統領令に『コメントしない』ことについて、「難民を日常的に追い返している日本が言えることなどないだろう」という最もな指摘がありますが、移住連さん、難民支援協会さん、AAR Japan[難民を助ける会]さんのようなところは、十分正統性を持ってトランプ批判ができると思います)
  2. 望月優大氏による批評
    NPOが国家の再分配と社会保障機能の代替になるかのような主張は成立しないという指摘は、私も全く同感(NPOは、サービスプロビジョンや政策アドボカシーを通じて国家のそういう機能を補完する不可欠な役割を果たしますが、国家機能を縮小してNPOに投げるやり方は、規模でも追いつかないし、サービスの質に格差を生みます。NPOは新自由主義を喜びうる立場にいるが、喜んだら存在意義を放棄したことになります)。

加えて私が批評するとすれば、

  • 日本の人口減少は、戦後の強固な性別役割分担(夫の長時間労働と妻の専業主婦)は、あくまでも「人口ボーナス期」の重厚長大型産業主導の経済発展の時期に一定の合理性があっただけにもかかわらず、歴代の自民党オッサン政権が普遍的な黄金律であるかのように勘違いして、産業構造の変化と「人口オーナス期」に備えて経済・社会の政策・制度の改革を怠ったことに大きく起因している(逆にいうと、妊娠・出産・子育てへの男女共同参画と社会的支援、働き方改革などの組み合わせで人口減少傾向の反転は可能である)という視点が抜けている。
  • 出生率を抑制する長時間労働、子育ての孤立化、子育て費用の個人負担の重さ、将来不安などは、貧困や格差、地方の過疎化といった問題と、新自由主義政策という根っこを共有している。日本の「貧しさ」は新自由主義のせいで起きているのであり、不作為の先にある貧困は、「みんな平等に緩やかに貧し」いどころか、不平等と暴力に彩られた貧困だ。
  • 上野氏は「目指すべきは社会民主的方向性なのに、日本には本当の社会民主主義政党がない」ことを嘆いているが、ここでいう「本物の社会民主主義」とは、おそらく、世界、特に北欧で政治勢力の一角を成してきたものと考えて良いと思われる。しかし、北欧の「本物の社会民主主義」は、経済成長を否定していないし、再分配の原資を成長に頼ってきた。もちろん、アベノミクス的な再分配を犠牲にする成長路線ではなく、「適度な再分配が成長を下支えする」という考えだから、再分配志向ではあるのだが、成長を是としている点では変わらない。
    人口も経済もシュリンクする状況に答えを出せるような社会民主主義の追求は、起きてはいるのだろうけど、それはまだオルタナティブな社会民主主義であって、「本物の社会民主主義」と呼べるものではないと思う。
    「衰退を受け入れた先に社会民主的な方向性」を言うのであれば、それを成立させる条件を提示してもらいたい。
  • 望月氏指摘のNPOについては、上野氏のNPOに対する認識が薄いのではないかと思う出来事が以前にもあった。イラク戦争当時、人道支援や報道の目的でイラクに入った日本人数人が「サラヤ・ムジャヒディン」に捕まったときに小泉政権が出した「自己責任」という結論に対し、批判の世論が起こったが、このとき上野氏は、「NGOに自己責任を押しつけるとは何事」という趣旨のコメントを発したことがある。あれには強い違和感を感じた。人道支援で紛争地に入るNGOは皆、「自己責任」で安全策を取っている。その道のプロである。あのとき拉致されたのは、組織化されたNGOではなく、個人だった。日本社会には「NGO=ボランティア」という誤った認識があるため、彼らのことをNGOと呼ぶ報道が溢れていたが、上野氏もその認識に乗っかった発言をしたわけだ。(お断りすると、私も政府の「自己責任論」には批判的である。NGO云々ではなくて、邦人の安全を守る立場にいる国家がその責務を放棄したと受け取れる発言だったから。また、拉致されてたのがNGOだったとしても、あえてそれを言う必要性はなかったわけであり。

また、私の「老害」発言に対し、FB上で興味深いコメントをもらいました。

「これは上野氏の発言そのものというより、中日・東京新聞が変なまとめ方をしたからではないか」

「上野氏の発言は、『希望的観測』『主観的な解釈』を排した、極めて現実主義的で、社会学者として適切なものである」

「もともとこういう断言調で挑発的に話す人で、それがこの人の強みでは?」

一つ目の、「上野氏の発言よりも、取材側の問題では」という指摘には、もしかしたらそうかもしれない、と素直に思います。東京新聞さんはお持ちの価値観としては日本のマスコミ界でなくてはならないものだと思うのですが、強引なイデオロギー的解釈や、日本語では意味不明になる翻訳なども散見されるので、可能性としてありかな、と。

二つ目のコメントについては、私は、三つ目のコメントにあるように、上野氏は現実を淡々と描写・分析してシナリオを提示する人ではなく、一つの価値観的視座から社会を鋭く分析し、我々を苦しめる社会通念を揺さぶるために挑発的な発言をする人だと思います。アクティビストなアカデミックだと思います。今回の発言だけ「現実主義」に徹したというのは、考えにくいと思います(それに、上記の批評にある通り、そもそも現実認識としておかしい箇所も色々とあり)。

で、三つ目のコメントに照らして考えたのですが、やはりこれも違和感があります。
なぜなら、上野氏の挑発的断定は通常、フェミニズムならフェミニズム的な価値観への気づきを促すような、思い込みへの挑発だと思うのですが、今回の発言は、自然増も社会増もダメという切り捨てと、国家の再分配機能のNPOへのアウトソーシングという無責任な処方箋しか示していないので、通念を揺さぶられた先にベター・ワールドが見えないのです。

2015年の安保国会で登場した学生運動のSEALDs。ある女性メンバーが、こんなスピーチを行いました。

「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生えない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。」

これに上野氏が噛み付きました。

いや、上野さん、それはその場では関係ないでしょ。ご飯作ってくれたのがお父さんでもこのスピーチは同じだし、例えお母さんが性別分業で苦しんでいたとしても、この人の幸せな思い出は事実なんだし。

そんな記憶が重なることもあって、やはりこの方は、「いってもそんなに貧しいわけじゃないでしょ」という曽野綾子や、「最近の若者は何もわかっちゃいない」と切り捨てる倉本聰や仲代達矢と同じ、「老害」なのではないか、と思うのです。

もちろん、中日・東京新聞が大事な発言を拾い損ねていなかったら、の話ですが。

米国史上最大のデモに?「女性マーチ」開催へ。

昨日、ついにドナルド・トランプが第45代米国大統領に就任してしまいました。
今日、これに異議を唱える人たちが、ワシントンDCを中心に全米各地で「女性のマーチ」を開催するそうです。
タイトルこそ「女性」ですが、ここには環境保護、人権擁護、格差是正など、様々な社会テーマに関心を持つ組織、団体、個人が集結する予定とのことで、キング牧師が率いたあの公民権運動よりも大きなデモ行進になるかもしれないと、英ガーディアン紙が報じています。

私が前職でお世話になっていたオックスファム・アメリカもこれに参加するようで、支持者にも参加を呼びかけています

アメリカではトランプが体現する排外主義、ファシズムの台頭に対抗するため、多くのNOO/NGO団体が活動領域や分野を超えて団結・連帯する動きが広がっているようです。

こういう、市民セクターが組織の論理に埋没せずに、より広い社会的公正に依拠した行動に出ることができるところ、いいなと思います。

一方、ニューヨーク・タイムズ紙によると、マーチに関わる女性運動の中にも、いろいろな不協和音があるとのこと。

曰く、人種的マイノリティや最貧層、LGBTの女性たちから、これまでの米国フェミニズム運動が「在宅勤務」や「女性役員比率の向上」など、「比較的裕福な白人女性が直面する課題」ばかりに傾倒し、貧困女性の最低賃金やセックスワーカーに対する警察の暴力、移民女性を脅かす強制送還などを軽視してきたとして、トランプの女性蔑視に怒る白人女性に対して「何を今さら」という思いもある一方、この抗議行動を機会に、そういった運動内に内在するレイシズムや階層間格差について認識を深める機会にしようという声に対して、白人女性の一部が引いてしまっているとか。

同じような葛藤は、「女性活躍」を叫ぶ安倍政権に対する国内の女性運動の中にもあると聞きます。あれは所詮、女性の「活用」でしかなくて、女性の人権ではないですからね。でも、あれのおかげで女性と労働の問題に政治の光が当たるようになったことも事実で、その機会を捉えるという戦略も、もちろんあるわけです。

アメリカ政治に話題を戻すと、新政権が体現する思想を我々市民が本来この国に託す思想というものに照らして検証し、反対するのであれば抗議するというアメリカ社会の政治性を見て、ズルズルと右傾化する国の住民としては学ぶところはやはりあるように思いました。

小泉進次郎氏らによる「人生100年時代の社会保障へ」の本末転倒と、NPO/NGOへの苦言

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最近、小泉進次郎氏を中心とする自民党の若手議員グループ「2020年以降の経済財政構想小委員会」が「人生100年時代」と位置づける2020年以降の社会保障制度のあり方に関する提言を発表したそうです。

小泉氏のウェブサイトに掲載された「メッセージ」はこちら

その論旨は次のようなもの:

  1. 現在の社会保障制度は少子高齢化と「働き方の多様化」に対応できておらず、モデルチェンジが必要。
  2. 年金給付開始を70歳よりもさらに引き上げ、逆に幾つになっても厚生年金への納付をできるようにする。
  3. 健康保険に、運転免許にならった「健康ゴールド免許」を導入。健康管理に努めた人の医療費負担を軽減する。
  4. 風邪薬や湿布薬などは全額自己負担。

小泉氏は最近開かれた「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2016」で基調講演を務めるなど、NPO関係者とのつながりもいろいろあるようで、今回の提言についても肯定的に捉える声が一部NPO/社会起業家たちの間で上がっているようです。

NGO出身者として、実はその事実にややガッカリしています。

小泉グループの提言を読んだ私の感想は、

「『社会保障の持続可能性』と言いながら、『社会の持続可能性』を損なう提案ではないか」

というものでした。

そもそも、「IT化などによってライフスタイルが多様化するので、労働者も働き場所を自由に選べるようにする」という現状認識はどうなのか。もちろん、ITが新しい起業を可能にしている面があり、その恩恵を受けている人もいるし、社会的便益もあると思いますが、圧倒的多数の労働者にとって、IT化による余剰人員化は自らの選択でもなんでもなく、問答無用にやってくる環境の大変化ですよね。問答無用にこれまでの生き方を奪われるのを、「多様化」という綺麗な言葉でまとめてしまって良いのでしょうか。

「健康ゴールド免許」も、そもそも「健康とは個人の自己責任と努力によって維持できるものだ」という前提に立ったものですが、健康とはそんなものではありません。世界保健機関(WHO)は、「健康は数多くの社会的要因によって左右されるため、万人の健康のためには社会的要因への働きかけが必要」としています。そこでいう「健康の社会的要因」とは、

  1. 所得と社会的地位
    安全な住宅や食品の安全性など。
  2. 社会支援ネットワーク
    孤立していないこと。
  3. 教育と識字能力(ヘルス・リテラシー)
    貧困やネグレクトが原因で衛生観念や生活習慣を知らされなければ、簡単な風邪の予防すらままなりません。
  4. 雇用・労働環境
    労働による心身への負荷が健康にもたらす影響があることは、ちょっと考えればわかること。その昔、坑夫はみな若死にしたし、現代であれば電通社員の過労自殺に明らか。
  5. 物理的環境
    例えば大気汚染など。
  6. 小児期の経験
  7. 医療
    医療の良し悪しは、健康を決める要因の一要因でしかないことに留意。
  8. 性別
    生物学的な性差もあれば(ホルモンなどの男女の違いを踏まえた医療的対応はまだまだ不十分)、社会が男女に課す異なる役割などにより生じる性差(ジェンダー)も、異なる健康ニーズをもたらす。
  9. 文化
    特定の階層や障害者、少数民族などに対する差別など。

などを指します。

実はこの要因リストに「個人の保健行動とストレス対応」というのも含まれるのですが、それはつまり、小泉氏らは上記のような様々な健康要因をほぼ全て無視して、この一つだけの要因で健康保険で保障するかどうかのふるいにかけると言っていることになるんですね。

「いや、自業自得ではない人は救いますよ」ときっと彼は言うのでしょうが、これだけ様々な要因があることを考えれば、自助努力の有無がほぼ意味をなさない人も、膨大にいるわけです。

この「健康ゴールド免許」構想は、最近「自業自得の透析患者は殺せ」という刺激的なタイトルのブログを書いて仕事を失った自称ジャーナリスト長谷川豊氏が唱えていることと同じで、透析患者の野上春香さん(仮名)がここでしっかりと論破してくれています。

***

「努力の足りない人や、余裕のある人の面倒を国民の税金で見る必要はない。本当に必要としている人にこそ支援を届けよう」というレトリックは、医療費だけではなく、生活保護や子ども支援など、様々なところで使われます。

これ、一見すると非常に人道精神に溢れたもっともな論理なのですが、これがもたらす政治的な結末は、「社会の分断」と「弱者いじめ」です。

社会を分断する理由は主に2つあると思います。

  • 国に救われるか見捨てられるかの境界線を、「本当にしんどい思いをしている人」たちと、「『お前よりもずっと大変な人がいるんだ』と言われたらそうかもしれないけど、それなりに苦しい思いをしている人」の間に引くので、下層の人たちの間に対立を生む。もしかしたら、彼ら全員と、海外に資産を移して税を逃れることで国の財政を圧迫している超富裕層の間に横たわっている圧倒的な格差の方が、政治的に重要な断層かもしれないのに(ていうか、絶対そうでしょ)、そちらは見えなくなる。
  • 行政が「本当の弱者」のためにしか公的資金を使わないのなら、それ以外の人たちは自分が利用しないサービスのために納税することに対して不満を持ち、行政サービスの利用者に対して「あいつらずるい」という感情を抱くようになる。この、「税金を一方的に奪われている感」こそが、有権者の「税嫌い」を生み、社会保障の持続可能性を損なっていると考えるべき。

「弱者いじめ」とは、

  • そこまで切り詰められた、「本当に苦しい人しか受けてはいけない」サービスに頼らざるをえなくなった人は、「人様に迷惑をかける」ことのスティグマを抱え、そもそも受給を控えることになりかねず(実際、生活保護の受給資格者のうち、受給しない人の割合が相当高いと言われる)、もし受けたとしても、自尊心と引き換えに受けることになる。

ということです。本来、人間らしい最低限の暮らしを送るための普遍的権利として人類が勝ち取った制度なのに、利用者が恥辱に耐えなければならないのはおかしい。

このダウンワード・スパイラルを止めるには、社会保障の少なくとも基幹的部分については、「受給資格」で市民を分断するのではなく、

  1. 「みんなが受益する社会保障」をどーんと用意する。
  2. 「応能負担」の原則で税率に傾斜をつけた累進税制でこれを支える(財政赤字がハンパないので、どちらにしても消費税は必要なのでしょうが、そういうことは富裕層や多国籍企業への課税をしっかりと強化してから言う)。

ということが必要だと思います。
儲けを是とし、必然的に格差を生む資本主義がかろうじて倫理性を保ち、また私たちの住む社会の経済システムとして正統性を持つことができるのは、それが富を生むからではなく、生んだ富を社会に還元するからだったはずであり、そのような還元機能を回復させる取り組みに対し、富裕層や大企業は文句はないはずです。なぜかたくさん文句言いますが。

と思っていたら、最近、慶応大学の井出英策という教授が、特に「みんなが受益する社会保障」について訴えていて注目を集めています(例えばこの超面白い対談)。

彼はこのたび、民進党内に設置された「尊厳ある生活保障総合調査会」のアドバイザーになったそうですが、ぜひ、自民党の「小委員会」との間にしっかりとした対立軸を作って、政策論議を戦わせて欲しいと思います。(そしてマスコミの皆さんは、パブロフ的反射で「バラマキ批判」をするのではなく、社会を持たせるのはどちらの考え方なのか、ちゃんと検証してほしい)

「グローバル経済のもと、そもそも国民国家単位の福祉充実など不可能だ」という意見もあると思いますし、事実、国境を超えた税逃れを抑え込む政策協調ができなければ、かなり厳しいでしょう。でも、「社会保障の特別手当化」がもたらすダウンワード・スパイラルがすでに地獄レベルに到達している以上、厳しくてもそちらに舵を切るような政治力が求められていると思います。

最後にNPO/NGOに一言。

「本当に支援を必要としている人」論は、特定の脆弱層への支援活動を行うNPO/NGOの使うレトリックと、非常に親和性が高いものです。だからなのか、こういう言説に対する根本的な批判ができない団体がかなり目に付きます。

どうしても大づかみにならざるを得ない行政サービスでは対応しきれないニーズにターゲットを絞って応えることが、NPO/NGOの強みではあると思うのですが、それは、本来公的な社会保障が大多数の人々を救えている状況でこそ発揮される付加価値のはずです。国全体をカバーすべき公的社会保障をターゲット化する策動に沈黙する、ましてや歓迎するというようなことは、自分たちの仕事を増やすために悲劇を生むことに加担していることになるという構図に、気づくべきです。

その政治的な「イリテラシー」を克服しないと、下に落ちることを恐れて下を蹴落とそうとしている中間層の支持は勝ち取れないでしょう。